マンスリーレター

📣「礼拝 Worship」のページに礼拝の動画が載せてあります。教会に行くことができない週などに、お用い下さい。 ➡️ 礼拝 Worship

《7月の予定・集会案内》

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※平日の集会は、突然予定が変更になる場合があります。初めて参加される方は、事前に連絡いただきますように、よろしくお願いします。

📍ヘンリ・ナウエン 今日のパン、明日の糧より
放蕩息子のたとえ・前半

 放蕩息子の警え (ルカ15:11-32)には、二人の息子が出てきます。弟は家から逃げて遠い国に行きますが、兄は家に留まり、するべき自分の仕事を続けます。弟は放蕩で身を持ち崩し、兄は一生懸命働き、仕事をすべて忠実に成し遂げることで、自分を疎外しています。二人とも失われたものでした。父親は、二人のことを嘆き悲しみます。二人のどちらとも、望んでいるような親密さを味わうことがないからです。 
 欲望に身を持ち崩すにしろ、冷たく言われた通りのことをするにしろ、それでは私たちは真に神の子となることはできません。弟のようであれ、兄のようであれ、私たちは神の無条件の愛に包まれて心が安らぐことのできる家に帰らなければなりません。

 家に帰っていくことは、生涯をかけての旅です。私たちには、放蕩に道を踏み外したり、憤りのあまり身動きが取れなくなることがよくあります。知らぬ間に想像の中で欲望のとりこになっていたり、怒りに満ちた復讐心にかられていたりして道に迷っています。そういう時に夜見る夢や白昼夢を通して、私たちは道に迷ったことにしばしば気づくのです。
 祈りや断食、心を込めて人に関わるなどの霊的な修練は、家に帰る私たちを助けてくれます。家に向かって歩き始めると、それがどれだけ遠い道のりであるかが分かってくることがよくあります。けれども、くじけないようにしましょう。イエスが私たちと共に歩いてくださり、私たちに道々話しかけてくださるからです。注意して耳を澄ませていると、途中なのに、もうすでに家にいることが分かるでしょう。

 家に着いたら、何をしますか。放湯息子の贅え話の二人の息子たちは、両方とも父親のもとに戻ってきましたが、さてそれからどうなるのでしょう。答えは簡単です。二人とも、それぞれ父親にならねばならないのです。息子は父親に、娘は母親にならねばならないのです。神の子どもであるということには、成長して神と似たものとなるということが当然含まれています。イエスはこのことをためらわずにおっしゃいました。

「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
(マタイ5:48)
「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」
(ルカ6:36)

でも、どのように?それは、父なる神が私たちを家に歓迎してくださるのと同じように、私たちも、見失っていた兄弟姉妹を家に歓迎することによってです。

 私たちは、見失っていた兄弟姉妹をどのように家に迎え入れたらよいのでしょうか。彼らのもとに走り寄り、抱きしめ、口づけをして喜び迎えましょう。私たちのもっている服の中から最上のものを着てもらい、大切なお客さんとして迎えましょう。とびきりの食事を用意し、友人や一族を宴会に招きましょう。そして一番大切なのは謝罪や釈明を求めずに、ただ、この兄弟姉妹と私たちが再会できたという計り知れないほどの大きな喜びだけを表すことです。
 これこそ、私たちが天の父と同じように完全となることではないでしょうか。それは、自己正当化や非難、好奇心をかけらも見せずに心から赦すことです。過去はぬぐい去られます。大事なのは、今、ここ、です。私たちの心を満たすものは、兄弟姉妹が家に帰って来たことの感謝、それだけです。