1.古いパン種
パンは、パン種(イースト菌)を小麦粉に混ぜ込むことにより、大きく膨らむ。パウロの勧めは、古いパン種=罪により膨らんだ状態ではなく、新しく罪のない者として歩むように勧めている。イエスもパン種について語っている間違った教えが入ることにより、悪い影響が広がることを注意するように、と語っている。
「パリサイ人たちやサドカイ人たちのパン種に、くれぐれも用心しなさい。」(マタイ16:6)
しかし、弟子たちはまったく理解しなかった。同じようにコリントの教会の人々も、罪に対するパウロの教えを理解していなかった。初めから、この状態があったわけではない。罪がエスカレートした結果。だから、パウロは教会の中の古いパン種を取り除くように教えている。なぜなら、一つのパン種=罪は、教会の中で大きく膨れ上がるからである。「釘一本のために王国が失われた」と言うことわざがある。小さな釘一本が、大きな問題へとつながる。私たちの中に、「パン種」や「一本の釘」はないだろうか?
ガラテヤ5:19-21
肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のもの
2.誠実と真実の種なしパンの祭り
旧約聖書の、パン種を入れないパンの祭りは、過ぎ越しの捧げものにより、罪のない状態になったことが続くことを象徴している。誠実と真実の種なしパンの祭りとは、イエス・キリストによって罪赦された聖徒として礼拝を捧げる、ということである。教会はそういうところである。もちろん、教会は罪びとが受け入れられるべき場所である。しかし、罪を誤魔化したり、見て見ぬふりをする場所ではない。だから、教会で語られるべきことは悔い改めであり、赦しと恵みの福音が語られる場所。この恵みを受け取った者こそが、真の礼拝者の姿がある。私たちには、悔い改めが必要である。
(v8)古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。
3.礼拝の本質
教会が罪のない者の集まりというのは、悔い改めて、赦され結果である。つまり、教会はイエス・キリストの恵みによって、罪のないにされた者の集まりである。すなわち、この悔い改めを通らない、礼拝はなないし、奉仕も、良い行ないも何もない。まず自分の罪を見つめ、悔い改めるところから、そして、聖い者として礼拝を受けるのである。ここに礼拝の本質がある。主イエスの十字架は私たちのすべての罪をきよめる。私たちの内からパン種を取り除く方法は、十字架を見上げて悔い改めること。それにより、いつでもパン種のない新しい粉の状態=罪のない状態に戻ります。
(v7) 新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。
私たちは、主イエスにあって、新しく生まれた者です。イエス・キリストにあって神の家族とされた者たちです。それは、罪ある者の集まりではなく、聖徒の集まりであり、それが教会です。いつも、この主の赦しと恵みを受けて歩んで行きましょう。