「私たちの建てる家」 Ⅰコリント3:10-17


1.建てる土台
「与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。(v10)」
建物を建てるのに、まず必要なものは土台。岩と砂の土台では洪水の時に、大きな違いが現れる(マタイ7:24-27)。私たちの土台は何か?「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打わち勝てません。」(マタイ16:18)
この岩の上とは「あなたは、生ける神の御子キリストです。」という信仰告白である。
あなたがイエスを何と告白するか?これが私たちの土台である。

2.建てる建物
「しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。(v10)」
土台を据えて、その上に建物が建てられる。つまり、信じて終わりではなく、その後の生き方が問われている。土台は、私たちに与えられた新しい命。その命をどう生きるか?現代の時代は自由があり、それぞれの思うように生きることができる。その中で、どのように生きるか、生き方を考えなさいと勧めている。

3.試される
「各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。(v13)」
私たちの築き上げてきた人生が、本物であったか、薄っぺらであったかは、時が来ると明らかになる。しかし、たとえ建物が壊されたとしても、火の中を通るようにして、助かる。これは土台がイエス・キリストであるから。救いの恵みは約束されている安心はある。

なぜ、パウロはこのことをコリントの教会に伝えたのか?
コリントの教会は、互いを批判し合っていた。しかし、イエス・キリストの信仰の土台の上に建てられた建物は、どんな建物であっても、聖霊が住まれる神の神殿であることを教えるため。
どのような家を建てるかは、人それぞれだが、御霊の住む神の神殿を壊す権利は人にはない。私たちは、キリストにある同労者である。お互いをさばき合うのではなく、お互いのために祈り合い、愛を持って仕え合う関係。それが行われる場所が教会である。

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。(v16-17)