「礼拝の中心」Ⅰコリント1:1-9

パウロは、なぜコリントの教会に手紙を書いたのか?それは、成長に伴う問題があったから。コリントへの手紙の中には多くの問題が書かれている。パウロは、コリント教会の具体的な問題に対し、警告し、励ましを与えている。コリント教会の問題は、後の時代の教会の使信となっていく。新しいいのちを生きる者の生き方の中心は、「礼拝」。
礼拝とは何なのか?コリント全体はそのことを私たちに教えている。

パウロは問題のあるコリントの教会の人々をどのように見ていたのだろうか?そのことが最初の挨拶の部分に現れている。

1.キリスト・イエスにあって聖なる者とされた。
 私たちに問題があったとしても、キリスト・イエスにあって聖なる者とされている。つまり、私たちの内側の問題ではなく、イエスの側が問題。イエス・キリストは救いを完全に成し遂げられた。それによって私たちは、自分は何も変わっていないのに、立ち位置が変化した。救いの恵み。

2.聖徒して召された方々へ
 召されるとは、招待された人々。罪ある者、汚れた者が、聖徒して招待された。つまり、問題があるし、失敗も、罪もある、けど、聖徒として生きたらよい。言い換えるならば、罪人だけども聖なる者として生きることが求められている。昔のままではなく、新しい歩み。その歩みの中で変えられていく。

3.キリストを求める人々の集まり
 教会は、どこにあったとしても、誰であったとしても、キリストを呼び求めている人の集まり。コリントの教会は、色んな指導者がいた。パウロ、アポロ、ペテロ・・・誰に教えらえようとも、教会はキリストにあって一つ。

(ⅴ9) 神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。

礼拝の本質は、人の側にではなく、イエス・キリストとの交わりにあります。